地雷の宝庫

主に戦後政治史に関する浅い考察。Twitterはこちら(https://mobile.twitter.com/_s8i_) 有権者だけど未成年です。

"緒方筆政時代"から隠蔽と流言飛語の因果関係を読み解く

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l  はじめに
隠蔽とは、辞書によるとあるものを他のもので覆い隠す意味を持っているという。私はかねてより、第一次世界大戦開戦の3年前から第二次世界大戦が幕を閉じる1年前までの約33年という歳月を言論人として生きた朝日新聞主筆緒方竹虎について研究する中で、あるもの、即ち、「不都合な事実」を覆い隠す「他のもの」の正体こそが「流言蜚語」なのではないかと考えるようになった。
緒方自身が書き残した「言論逼塞時代の回想」によると、終戦直後の昭和20年9月27日にマッカーサー司令部が廃止を命じた言論統制にあたる法令、施行規制は「新聞紙法、国家総動員法、新聞紙等掲載制限令、新聞事業令、言論出版集会結社臨時取締法、同上施行規制、戦時刑事特別法、国防保安法、軍機保護法、不穏文書取締法、軍用資源秘密保護法、重要産業団体令及び同上施行規制」であり、これらを改めて精査して、よくもかかる法令の中、新聞を発行できたものだと驚嘆したという。
また、上述の法令のうち最も平凡な新聞紙法を一つ取り上げても、このような事前検閲の制度はナポレオン三世時代以外絶えてない制度だとハロルド・ラスキをして言わしめたほどであったとも語っている。
このような法令は戦時中、どのような場面において用いられたか。
一例を挙げよう。毎日新聞は1944年2月23日付の朝刊に、「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋航空機だ」「大東亜戦争の勝敗は海洋航空兵力の増強にかかっており、敵の航空兵力に対して竹槍で対抗することはできない」という主旨の記事を掲載、時の首相であった東條英機の怒りを買い発禁処分に加えて編集責任者は処分され、執筆した記者は37歳であったのにもかかわらず戦地に招集された。
もう一つ、付け加えて桐生悠々の「関東防空大演習を嗤う」の例を挙げたい。
桐生はロンドン空襲などを引き合いに出して、敵爆撃機の領土への侵入を許してしまった段階で勝機は薄く、防空演習などというものはさほど役に立たないとの見解を示したことが要因で「言いたい事と、言わねばならぬ事と」によると「軍により、生活権を奪われる」事態にまで窮することとなった。
焼夷弾の雨を住宅地に降らす戦闘機を相手に竹槍では戦えないことは明々白々の事実であり、そこに疑う余地など微塵もない。
防空大演習に関しても同様である。実際に、東京大空襲の死者数は確認されているだけでも10万5400人にのぼり、本土を爆撃された段階でいくら演習を積み重ねていても莫大な死傷者を出してしまうことはその後の歴史が証明している。
ならば何故、軍部はこの記事を差し止めるばかりか、まるで見せしめのように執筆者を戦地に招集するなどの厳罰を科したのか。国民が竹槍での抗戦、或いは防空演習への参加を強要されていることに対し、何らかの負の感情を抱くことを阻止したかったのではないかと推測されるが、意図が何であろうと、こういった言論弾圧は明らかな隠蔽であるといって差支えはないだろう。
そして、これらは決して他人事ではなく、現在においても類似した現象が見られる。コロナ禍と呼ばれる昨今の情勢において、感染者の身元が特定され、親族が誹謗中傷を受けるなどの事例が確認されているほか、私が生活している地域でもある特定の地区に住んでいる住民が感染したという情報が町中を駆け巡り、さらなる憶測を生んでいた。
このような状況で、私が感じたのは、自分が感染して同じように噂されたらどうしようという恐怖であった。
そして、その恐怖心ゆえに、更に近隣の地区の住民が感染したという情報に過敏になっていき、根も葉もない誹謗中傷にまで耳を傾けてしまっている自分に気がついたとき、ふと、戦時中のことを想起した。
先述した竹槍事件然り、桐生悠々の記事然り、戦禍の国民の「戦争に負けたらどうしよう」という恐怖心を煽っていた側面があったのではないか。
そうであるならば、恐怖心を煽る報道を拒絶し、根拠の無い戦勝報告を望んでいたのは紛れもない国民自身であり、そういった風潮と体制側の方針が結合することで言論弾圧がより加速していったという風にも捉えられるのではないだろうか。
ここに、わたしは、隠蔽と流言蜚語の因果関係を見た。
底なしの不安を抱えた国民を勇気づけるような虚実で言わねばならぬ現実を覆い隠す。その行き着く先が先の敗戦であったことを踏まえ、私達が今向き合わなければならぬ本質とは何であろうか。
また、流言蜚語という何処から発生したかも分からないものによって命を落とす人間が存在するという事実には余計に危機感を抱かねばならないと感じる。
芸能人に対する匿名の誹謗中傷が切っ掛けで、根拠の無い流言蜚語が蔓延し、それが結果的に誰かの命を奪う、或いは、戦前の例を挙げるならば、関東大震災のあと「朝鮮人が略奪を行っている」という流言蜚語によって虐殺事件が起こった事例(「石井光次郎回想八十八年」によると、1944年に警視庁で行われた講演会において正力松太郎本人が誤報であると認めている)(注1)も存在していること、そういった現実に真摯に向き合い、知らせなければならぬことを伝える政治、言わねばならぬことを発信するメディア、知らねばならぬことと向き合う国民という言論においての健全な相互関係を築くために必要な事柄を冒頭で述べた緒方竹虎の言説から検証していきたい。
 
l  緒方が向き合った言論統制
緒方が最初に経験した言論統制は白虹事件であった。白虹事件とは、1918年8月25日に、当時、富山県で起こったことを皮切りに全国に拡大していた米騒動を鎮静化するべく、治安維持という名目で寺内内閣がこの騒動に関する一切の報道を差し止めたことを皮切りに、新聞各社が寺内内閣弾劾運動に立ち上がった最中に起こった事件のことである。大阪で行われた記者の決起集会を特集した朝刊の紙面で「白虹日を貫けり」という言葉を用いたことが、内務省、警察当局の目に止まり、主筆であった鳥居素川、社長の村山龍平らが更迭されるなど未曾有の大騒動に発展した。この背景には「白虹日を貫けり」という語に平家物語史記という二つの引用元があることを失念していた新聞社幹部の監督不行届、また、社会部部長であった長谷川如是閑が偶然不在であったという不運が潜在しているが、これは現代の新聞に置き換えても決して他人事とは言えない事件である。「白虹日を貫けり」が秦の始皇帝が暗殺されそうになったときに見られた兆しであり、この語を用いると皇室に対して不敬な発言だと取られる可能性が高いということを思い立つ人がいれば、或いは、念には念を入れて「平家物語からの引用」と明記していれば、このような言論弾圧には至らなかった筈なのである。
現代にもこのような事例は見られる。2020年3月13日に朝日新聞編集委員が「新型コロナウイルスはある意味痛快な存在かもしれない」とTwitterにおいて発言したこともその一例であると私は考えている。
自らの発言が世間にどのような影響を与えるかという意識があれば、このような発言は軽々しくできないはずなのだ。白虹事件はそういった意識があっても教養がなければ防ぎようのなかった事件だが、こういった不祥事は冷静に考えれば防ぎ得る事例である。インターネットという情報発信のツールが急速に普及したことで、以前のように他の社員が事前に点検することは難しくなったのかもしれない。だからこそ、新聞社は社員ひとりひとりの意識を高めるための取り組みを促進させていかないければならないのではないだろうか。ここで、緒方が筆政として論説委員を指導していた時代を振り返ろう。同時代に論説委員を務めていた嘉治隆一の言説によると、論説会議にて社の方針を大まかに伝えたあとは担当者に記事のことを一任し、自らは記事の内容にあまり干渉しなかったが「新聞はいつも高邁な在野精神を忘れてはならぬ」「政府に対しても、民衆に対しても、下から噛み付くのではなく、一段上の見地から諄々と教え説くことが必要である」などといった記者としての心構えや意識の持ち方については普段から論説委員らに話して聞かせていたという。現代においては、情報を取捨選択する能力や文章の書き回しなど技巧的なものこそが一大事とされているような風潮があるが、肝要なのはこういった記者としての意識の持ち方なのではないだろうか。私は文章を書く上でも読む上でも、一番大切なことは「書き手が伝えたいこと」だと思っている。いくら文章が卓越していても、鮮度の高い情報であっても、伝えたいことのない文章には中身がない。逆に、伝えたいことがはっきりしていれば文章が凡庸であっても、読み手の記憶に残ると自分の経験則からも考えている。また、更に興味を持ったのは、緒方の「資本と経営の分離」に対する思いである。嘉治によると、緒方は民衆の喉舌であらねばならない新聞記者が算盤勘定にかまけているような状況を好ましくないと評し、「新聞社における資本と経営の分離を計り、そしてあくまで編集の独立と優位を保つ」ことを生涯においての目標にしていたという。昨今、災害現場などで被災者の心情を慮らない取材が行われているのを報道番組などで目にすることが増えた。また、憶測を掻き立てるような事実から飛躍した記事や、強い語調で特定の組織や人物を攻撃するような記事についても、直近では2020年6月19日に、産経新聞、フジニュースネットワーク(以下FNNとする)が合同で行う「産経新聞・FNN合同世論調査」において直前12ヶ月分の回答の内容に捏造があったことが発覚するなど、枚挙に暇がないのが現状だ。こうした取材体制や流言蜚語とも取られかねない裏付けのない報道の背後には、他社を出し抜いて新しい情報を掴みたい、発行部数や視聴率を伸ばしたいといった報道機関の商業主義的な姿勢が潜んでいるのではないかと私は推測している。そして、このような姿勢を是正するためには、緒方の「資本と経営の分離」に対する先述した考えや思いをもう一度論点にし、報道に携わる多くの人間が健全なジャーナリズムを確立するために意見を交換することが求められているのではないかと感じる。以上の、記者としての意識を高める社内での教育、そして、資本と経営の分離を問い直すという2点が、私が緒方筆政時代を検証するなかで現代メディアに対して持った問題意識と打開策であった。次項では、緒方自身の言説をもとに言論弾圧を推進した政治体制に影響され、例え本意でなかったとしても事実ではない報道を繰り返したメディアの責任と、同じことを三度繰り返さないための新しい言論のあり方について考察していく。
 
l  緒方が見据えた言論界の未来
戦時下においてメディアが犯した最大の過ちは「レイテ大勝」の誤報であったのではないかと私は考えている。1944年の10月25日の午後、大本営は「台湾を目指している米艦隊を攻撃して、米空母4隻の撃沈を含む大戦果を遂げた」と発表した。これをメディアは確証のないまま報道し、国民は疑いもせずに熱狂、当時閣僚であった米内光政海軍大将や首相であった小磯国昭陸軍大将、情報を統括しているはずの情報局総裁を務めていた緒方までもがこれを事実と思い込み、後に誤報だと分かっても撤回しなかった。保阪正康の「陸軍良識派の研究」によると、この誤報大本営に送ったのは瀬島龍三である可能性が高いとのことだが、誰が送ったかは最早問題ではなく、大敗を喫していた海軍が隠蔽のために誤報を流し、それを政府が認め、検証もせずにメディアが報道、結果的に国家ぐるみで壮大な流言蜚語に翻弄されてしまったというところに、私は隠蔽と流言飛語の因果関係が及ぼす問題の根深さを再確認せずにはいられないのである。
このような問題に、言論人として、また、同時に情報局総裁という政府関係者として直面した緒方は、戦後の言論のあり方についてどのような展望を持っていたのか。
緒方は「言論逼塞時代の回想」において、ウィルソン大統領の片腕と称されたニューヨーク・ワールド紙の主筆、フランク・コップの「第一次世界大戦の勃発に際し、ウィルソン大統領は、ひとり中立的な態度を要求しただけでなく、思想の不偏も併せて要求した」ことを引き合いに出し、国民に問いかけることなく強行的な姿勢を取る日本の体制や言論のあり方に疑念を示すと同時に、ワシントン軍縮会議に向かう途中の船で知り合ったネーション誌のオズワルド・ギャリソン・ヴィラードについても言及している。
緒方は、ネーションは「第一次世界大戦中は、ヴィラードの忌憚なき戦争批判のために、一般的には赤という評判を得たほど、無遠慮な論調で、当時の論壇に異彩を放っていた。実際にヴィラードに会ってみて、それが許されたのは、彼の優れた人格にもよるが、何よりも週刊誌という身軽な体質が大きな理由になっていると感じた。」という見解を示している。この一文を読んで私が想起したのは、「昭和史の論点」においての半藤一利の「新聞はみんな裏返ったけど、文藝春秋をはじめとする雑誌は裏返らなかった」という証言であった。また、戦争に抵抗した石橋湛山桐生悠々が筆政を掌っていた「東洋経済新報」や「他山の石」も雑誌媒体であり、比較的、反戦的な気風を持っていたと言われる「福岡日日新聞」や「信濃毎日新聞」は地方紙であった。(戦時下の地方紙に関しては、NHK スペシャル「日本人は何故戦争へと向かっていったか 第三回・熱狂はこうして作られた」を参照)(注2)
ここに私は、広告主を忖度しなくてはならない大新聞の不自由さを見た。社が大きくなれば大きくなるほど、養わなければならない社員が増え、保守的にならざるを得ないのではないか。フランス文学者の桑原武夫は広告を新聞の下半身と称し、広告を見れば新聞社の実情が分かると述べている。この言説は的を射たもので、実際に緒方は、思想団体や軍部が新聞社を脅すために広告主を恐喝していたと当時を振り返っている。
 
l  言論においての「現代版、緒方構想」
私は上述したような現実に鑑み、言論界に必要なのは「週刊ペースで発行され、全国規模で流通しているクオリティ・ペーパー」の存在であると考えた。
文藝春秋中央公論などの雑誌媒体は月刊ペースで発行されるので多くの情報を網羅するには不向きである。また、地方紙には利点も多くあるが、読者が限られてしまうという欠点がある。
だからこそ、広告主に忖度することなく、少ない資本で小回りのきくクオリティ・ペーパーが、情報が溢れかえり、憶測が公然と語られてしまう現代においてそのブレーキ役になることを私は切望すると同時に、いずれは自分が作りたいと考え構想を練っている。
デジタル化が進み、ペーパーレスの時代が到来しようとしている現代にあって、このような考えは旧時代的なものであるという批判もあるだろう。
だが、私は新聞産業が衰退する時代だからこそクオリティ・ペーパーを作るという構想は意味を持つと考えている。大新聞は、前項でも触れたが、広告に左右されるという弱点があり、加えて、多数の社員を抱えている。逆説的に捉えるならば、こんな時代だからこそ世界情勢や不況に影響されにくい小回りのきく情報媒体が必要なのだ。また、ネットニュースが普及して情報伝達の速度は格段に上がり、誰もが手軽に読める利便性も向上したが、同時に信憑性や情報の深さは損なわれ、受け手のリテラシーが不可欠になった。日毎に消費されていく情報を週刊ペースでまとめて紙面で届けるというあり方は決して時代に逆行したものではないと感じる。そして、このような取り組みこそが、夥しい情報が交錯する現代社会において、デマ、即ち流言蜚語を抑制し、正しい情報を伝達するための一翼を担うことに繋がるのではないかと私は考えている。
 
l  むすびに
ここまで、メディア側の見地に立って健全な言論のあり方を考察してきたが、最後に、それらの考察を通して、受け手という現在の私自身の立場から見えてきたものを挙げたい。
まず、言論統制を行った政府、それらに屈した言論、信じることしかできなかった当時の国民を責めることはあまりにも容易い。しかし、我々に求められているのは「誰が悪かったか」という犯人探しをすることではなく、如何にすれば健全な言論を保つことができるかという思索なのではないかと感じる。国民は知りたいことを直接当事者に聞きに行くという行為をメディアに任せている。即ち、自らの知る権利をメディアに委託しているという側面がある。然るに、メディアが国民の知る権利を守るという責任を果すために努めると同時に、国民はメディアがどのような報道を行っているか監視する必要があるのだ。報道機関の不祥事などを受けて、もう新聞を読まない、ニュースを見ないと高を括ってしまえば総てが片付くが、その先にあるのは、誰もが情報に無頓着な、ある意味での「言論逼塞の時代」なのではないだろうか。国民が知るべきことと真摯に向き合う姿勢こそが、世に蔓延る根拠の無い誹謗中傷や流言蜚語を正していく原動力になると、私は確信するものである。
 
l  〈注〉
(1)石井光次郎『回想八十八年』、カルチャー出版、1976年
(2)NHKスペシャル『日本人は何故戦争へと向かっていったか』、第3回「“熱狂“はこうして作られた」、2011年2月27日放送
l  〈参考文献〉
l  〈参考にした書籍〉(※参考資料が多いので、書籍、論文記事、音声資料等で分類し記載する形式を取る。)
(1)「評伝 緒方竹虎 激動の昭和を生きた保守政治家」 三好徹、岩波現代文庫、1988年
(2)「復刻版 緒方竹虎修猷館高校、修猷通信編、2012年
(3)「緒方竹虎(人物叢書)」 栗田直樹、吉川弘文館、2001年
(4)「緒方竹虎 リベラルを貫く」 渡辺行男、弦書房、2006年
(5)「人間 緒方竹虎高宮太平、四季社、1958年
(6)「回想の緒方竹虎」 桜井清、東京と福岡社、1956年
(7)「緒方竹虎 一業一人伝」 嘉治隆一、時事通信社、1962年
(8)「新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩」 今西光男、朝日選書、2007年
(9)「占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎」 今西光男、朝日選書、2008年
(10)「緒方竹虎(1963年)」  緒方竹虎伝記刊行会、朝日新聞社、1963年
(11)「緒方竹虎とCIA アメリカ公文書が語る保守政治家の実像」吉田則昭、平凡社新書、2012年
(12)「遙かなる昭和―父・緒方竹虎と私」緒方四十郎朝日新聞社、2005年
(13)「人間 中野正剛緒方竹虎、中公文庫、1988年
(14)「一軍人の生涯―提督・米内光政」緒方竹虎、光和堂、1983年
(15)「朝日常識講座第4巻 議会の話」緒方竹虎朝日新聞社、1929年
(16)「戦後政治家論」阿部真之助、文春学藝ライブラリー、2016年
(17)「緒方竹虎(情報組織の主催者)」 栗田直樹、吉川弘文館、1996年
(18)「そして、メディアは日本を戦争に導いた」保阪正康半藤一利、文春文庫、2016年
(19)「陸軍良識派の研究」保阪正康光人社NF文庫、2013年
(20)「昭和史の論点」坂本多加雄秦郁彦半藤一利保阪正康、文春新書、2000年
(21)「世論 上・下巻」W・リップマン、岩波文庫、1987年
(22)「流言のメディア史」佐藤卓己岩波新書、2019年
(23)「戦う石橋湛山半藤一利ちくま文庫、2019年
l  〈記事・論文〉
(1)緒方竹虎;竹山博士「竹山博士心理対談 (20) 政界のダークホース緖方竹虎」、旬刊読売、1952年、p38~42
(2)宮前淳「悲運の巨星・緒方竹虎(1)~(3)」月刊自由民主、2000年
(3)鈴木茂三郎「故緒方竹虎鈴木茂三郎君」衆議院追悼演説集:第1回、1983年、p98
(4)国士舘大学法学部『証人緒方竹虎―もと朝日新聞副社長、小磯内閣の情報局総裁で、戦後は連合国軍最高司令官の命に基づき逮捕され、本裁判の検察団により2度尋問を受け、証言時、戦争犯罪容疑者として自宅監禁中―、検察主張立証II局面「戦争輿論の形成」第2部「宣伝による戦争準備」の検察側立証として、「満州事変から大東亜(太平洋)戦争期間中の新聞検閲、陸軍による特定記事報道の要求」について、宣誓供述書によって証言する』極東国際軍事裁判審判要録 第1巻、監修 松元直歳、原書房、p232
(5)国士舘大学法学部『‪[検察側証人緒方竹虎に対する宣誓供述書による検察側直接尋問] ‪[弁護人ファーネス大尉及び弁護人クライマン大尉による検察側証人緒方竹虎に対する反対尋問]』極東国際軍事裁判審理要録 第1巻、監修 松元直歳、原書房、2013年、p233
(6)戸松慶議「緒方竹虎先生と私」総合文化2(3)、1956年、p60~72
(7)木原健太郎, 本多秀輝「軍靴の中を生きた言論人—緒方竹虎」公評37(2)、2000年、p98~105
(8)緒方竹虎「言論逼塞時代の回想」中央公論67(1)(756);新年特大号、1952年、p106~111
(9)緒方竹虎;風見章;松本重治「政治と言論(鼎談)」改造32(10)、1951年、p52~63
(10)緒方竹虎「感屑」東方時論8(2)、1923年、p89~92
(11)緒方竹虎「人生体験打ち明け話」学苑13(4)、1952年、p78~81
(12)緒方竹虎「小泉又さんの家」美しい暮らしの手帖 S26(6)(14)、1951年、p112~113
(13)緒方竹虎「よき古き若き時代」文藝春秋31(18)、1953年、p30~33
(14)有竹修二「緒方竹虎石橋湛山」財政経済弘報社、1952年、p8~9
(15)情報局関係極秘資料第六巻 「思想戦と新聞」、萩野富士夫編・解題、不二出版、2003年
(16)木舎幾三郎「往来新聞・緒方竹虎氏の思い出」政界往来22(3)、1956年p202~203
(17)伊藤金次郎「緒方竹虎論」政界往来20(4)、1954年、p134~142
(18)緒方竹虎他「新聞今昔(対談)」政界往来18(1)、1952年、p28~41
(19)人物往来「特集二 日本の船頭十人 緒方竹虎/野村秀雄」人物往来3(6)、1954年、p28~33
(20)緒方竹虎「現代新聞論」総合ジャーナリズム講座 第2巻、日本図書センター、2004年
(21)長谷川峻「生きている緒方竹虎」政界往来26(4)、1960年、p121~129
(22)安藤楢六「緒方竹虎さんの思い出」文藝春秋49(1)、1971年、p75~76
(23)笠信太郎「新聞を語る緒方竹虎さん」笠信太郎全集第5巻(私の人間像・日本像)、朝日新聞社、1969年、p387
(24)東久邇稔彦緒方竹虎の国際情勢分析」東久邇日記:日本激動期の秘録、徳間書店、1968年、p27
(25)朝日新聞社緒方竹虎と大西斎〈沈勇の将器、殉情の詩人〉」祈り祈りの人 第2、朝日新聞社、1967年、p169
(26)有竹修二「緒方竹虎の素描」新文明6(4)、1956年、p58
(27)緒方竹虎「叛乱将校との対決—二・二六事件の血に狂つた叛乱軍の襲撃を受けた朝日新聞主筆としての對決」文藝春秋33(20)、1955年、p208~209
(28)緒方竹虎国賊とよばれた頃」丸8(2)、潮書房光人新社、1955年、p131~132
(29)緒方竹虎「暗殺・抵抗・挂冠」ダイアモンド:経済雑誌40(9) 臨時増刊号、1952年、p10~15
(30)嘉治隆一「新聞人ありき—資本と編集の分離を唱え天下の人材を集めてその主張を貫徹させた最後の大記者緒方竹虎文藝春秋38(11)、1960年、p182~196
(31)「言いたい事と言わねばならぬ事と」、桐生悠々
https://www.aozora.gr.jp/cards/000535/files/3612_20811.html
(32)「関東防空大演習を嗤う」、桐生悠々
https://www.aozora.gr.jp/cards/000535/files/4621_15669.html
(33)朝日新聞社編集委員の不適切なツイート、おわびします。」2020年3月14日
https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASN3G6JXPN3GPLZU002.html
(34)東京大空襲・戦災資料センター「東京大空襲とは」
https://tokyo-sensai.net/about/tokyoraids/
l  〈音声・映像資料〉
(1)肉声できく昭和の証言4  NHKサービスセンター、1990年
(2)NHKスペシャル『日本人は何故戦争へと向かっていったか』
第3回「熱狂はこうして作られた」2011年2月27日放送
(3)「いだてん・第34回・226NHK、2019年9月8日放送
(4)「東京裁判」 監督 小林正樹、2019年8月3日公開